両親介護の大変さ〜介護の日は突然やってくる〜

老後

次女が生まれて、これから両親に孫を見てもらいながら色々とお世話になりたいと思っていた矢先、父が脳梗塞になり、その5年後、母は58歳の若さで認知症になりました。そこから、平穏な日々が一変して私の介護生活が始まりました。

こんにちは。mihirimamaです。年を取れば、いつかは介護が必要になる日が来るかもしれない。頭ではわかっていても、それが自分の生活に突然入り込んでくるとは、想像していませんでした。

現在は、認知症の母親がほとんど寝たきりになってしまい、病院で入院中。脳梗塞の後遺症で左半身麻痺のある父親は一人で生活することが不可能になり施設入所中です。

今の私にしてあげられることは両親を会わせてあげること。月に1〜2回、施設へ父を迎えに行き、母のいる病院へ面会に行っています。お互い辛い気持ちだと思いますが、励ましあっている姿を見ると涙が出てきます。とっても仲の良い両親でした。

今回は、私の介護生活の経験から感じたこと、そして、こうすればよかったという学びなどをお伝えしたいと思います。

両親で二人暮らしをしていた母からある日突然電話が来ました。お父さんが急に転んで、意識はあるのに言葉がうまく出なくて自分で起き上がれないと。

私は、様子がおかしいと思い、救急車を呼んだほうがいいと言いましたが、父が、近所の目もあり、大ごとになると困るので車で連れて行ってくれと言ったそうで、自宅から少し離れた、昔通ったことのある病院へ行きました。私もすぐに向かいました。

(緊急時は救急車を呼ぶのがいいと思いました。近くの大きな病院ですぐに診てもらえます。入院する場合は受診した病院になるので、遠いと家族の負担が多くなります。)←今まで、両親が何回か救急車のお世話になったので感じた気づきです。

それから、父は、半年くらい入院しましたが、最初の頃は母の気が動転してしてしまい、車の運転が心配だったため、急性期の対応や同意書、身の回りの世話などは私がしました。私の娘たちもまだ小さく、仕事もしていたため、気の狂いそうな日々でした。けれど、身元保証人がいなければ入院したり、大切な決断もできないので、仕方ありませんでした。

そして、後遺症のある病気は退院後の方が大変です。今まで、病院でしてくれたことを自宅で自分たちで行わなければなりません。父は左手がほとんど使えず、左足を引きずってふらふらしながら歩いてる状態だったので、転倒のリスクや日常生活の困難が多くありました。

退院してすぐは、経過報告やリハビリなどで通院も多く、家族が時間を作って付き添わなければいけません。見守りも必要になり、自宅の段差や危険箇所をバリアフリーにしなければならないなど、課題が山積みになりました。再発の不安もありました。

家族だけで介護をしていくことは不可能なので、ソーシャルワーカーさんやケアマネジャーさんに相談して、デイサービス・訪問看護・ホームヘルパーなど利用できるものをできるだけ利用して、家族の負担を減らせるようにしました。父の日常の様子や病状、書類作成など手続きにも多くの時間が必要でした。

また、専門家の方が公的なことや介護のことを全て教えてくれるわけではなく、自分で調べなければ利用できない制度などもありました。(この人にはこの制度が使えますよと、簡単には教えてもらえるのですが、介護制度の分厚い冊子を渡されて、この中から必要なものを申請してくださいと言われたので、冊子を全部読まなければ利用できる制度がわからず大変でした。)

父の介護サービス利用など、やっと、日常生活が落ち着いてきた頃、今度は母親の認知症が始まりました。きっかけは、久しぶりに両親と一緒に温泉へ出かけて帰ってきた日の夜でした。自宅に着くと母が、「お風呂沸かさなきゃ、夕飯何にしよう」と言ったのです。お風呂も夕飯も済ませた後だったのでびっくりしました。

その当時を振り返ってあった変化は、今まで週5日で働いていたパート先の景気が悪くなり、週4日、週2日とどんどん働ける日数が減っていき、最後は辞めさせられてしまったことです。母は、職場に残れた人もいる中で自分が辞めさせられたとショックを受けて1日中家で落ち込んでいました。

私は一時的に精神不安定になってしまったのだろうと思い、週末はできるだけ顔を出すようにしていましたが、状態はどんどん悪化していきました。

ある日、父から電話があり、昼になってるのにまだ寝ていて様子がおかしいと言うので、実家へ行って見ると、声をかけても、体を揺すっても反応がありませんでした。

急いで救急車を呼び近くの病院へ搬送されました。認知症と他の病気も合併し、一時は危篤状態になりましたが、セカンドオピニオンで遠くの病院で治療を受け、後遺症は残りながらの退院になりました。そして、今までは母と協力して父の介護をしていましたが、その日から、両親介護が始まりました。更に、その頃には障害を持った3女の介護もあり、仕事もまだ続けており、本当に生きた心地がしませんでした。

整理収納を学んで、あの時の状況を思い出すと、家が整っていたら、もう少し、父も母もラクに落ち着いて過ごせていたのかなぁと思います。

当時の自宅は母の収集グセで物だらけ。物のない時代に生まれた父は物を捨てられず「いつか使えるかもしれない」と言って溜め込んでいました。

料理が好きだった母は、自分はまだできると思って色々な調味料を入れる。いっぱいありすぎて何を使っていいかわからなくなる。鍋もいっぱいあってどれを使っていいかわからない。料理を作ってもお皿がいっぱいあって迷う。料理したあとの片づけ方もわからず、そのまま放置。疲れたと言って寝る。

またある時には、タンスから物を引っ張り出して、床に散らかす。それにつまずいて父が転倒。

私は、物が多すぎて危なそうだから、こっそり、不要そうなもの、壊れているものなどを不燃ごみ袋に入れて、念の為、しばらく、隠しておくと、母はあれがない、あれがないと探し出し、またある時は実家に行ってみると、父が隅に保管しておいた不燃袋から物を取り出し、一応取っておくと言って元の場所に戻す。

必要な物と不要な物に分けて、必要な物、大切な物だけに囲まれて生活できていたら、母が迷うことも減ってもう少し、自分のことを自分でできていたのかな?探し物をしてもすぐに見つかるし、あちこちの物を散らかさなくてもよかったのかな?父も、広々とした空間で移動できたら物につまずいて転ぶ心配も少なかったのかな?母の散らかした物を、不自由な体で一生懸命片づけている父の姿を見なくてもよかったのかな?と、整理収納を学んだ今、色々と考えさせられることがあります。

これからは私も整理収納アドバイザーとして、このような経験を活かして皆さんの暮らしが快適になるお手伝いをしていきたいと思います。

そして、両親介護を経験して今感じていること。

老後に備えての準備は早すぎるということはないと思います。

まずは、物と少しずつ向き合って「必要な物、大切な物に囲まれた生活」を目指し、いつ起こるかわからない介護の事前準備として、「親の希望を聞いておく」「介護保険・医療情報・地域の相談先」「エンディングノート」などできることから始めておくと今後の生活への不安が減り、精神的な安心にもつながると思います。また、突然その日がやってきても、家族が落ち着いて対応できるようになると思います。

最後にもう一つだけ・・・

長生きすればほとんどの人が通る道である「認知症」。祖母の相続で兄弟間で揉めている間に母は認知症になりました。

跡継ぎの叔父が入院中の祖母の面倒を放棄。ずっと、母と叔母で祖母の身の回りのお世話をしていました。遠方まで車で出かけて、往復するのが大変でした。父が病気になってからは、私が祖母の身の回りのことをすることも多々ありました。

母は、認知症になってからも、自分が立て替えた入院費や日用品購入の領収書を大切に保管していました。入院している今でも「あれどうなってる?」と心配しています。

叔父や叔母たちは母が認知症になったことをいいことに相続放棄を求めてきました。

母の苦労も知っていたし、孫である私も多くの時間と労力を費やしたので、母親の立て替えた分くらいはいただきたいと思いました。

そして、何年も揉め事をしているうちに、祖母名義の貸し土地の権利の問題で早急に相続手続きをしなければいけない日がきました。

認知症の母の場合、意思能力がなく相続人にはなれないので、成年後見制度を利用して代わりに相続人を選出しなければいけません。

「法テラス」で無料相談を受けると、成年後見制度の書類作成に◯十万、弁護士に後見人になってもらう場合は母が亡くなるまで月々◯万円の費用がかかるというお話でした。

両親は経済的にとても厳しい生活をしていたので、そのようなお金を用意することはできず、私がすべて書類作成をし、家庭裁判所へも出向かなければいけませんでした。

診断書・財産資料・生い立ち・など膨大な資料作成、難しい用語調べ、わからない箇所はその企業へ問い合わせ、書類の再提出など、本当に大変な思いをしました。

詳細についてはまた、お話できればいいなぁと思いますが、ここで私が感じたことは、

「認知症や病気で寝たきり」になってからでは家族が本当に困るということです。

ご本人が元気なうちにこの先のことを考え、任意後見制度や家族信託の利用、財産整理など、今できることを早めにして、ご本人もご家族も安心して、不安や悩みを少しずつ減らしながら生活していただければいいなぁと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次のお話は、苦しい時期を過ごしていた私たち家族に、そっと寄り添い、前を向くきっかけをくださった二人の先生のお話です。今でも忘れることのできない、温かい言葉と出会いについてお話します。

☆次のお話はこちら

「苦しい時に支えてくれた、忘れられない二人の先生」

☆ プロフィールはこちら

☆ インスタはこちら

コメント