約10ヶ月間、お腹の中で大切に大切に育ててきてやっと出会えた我が子。
これからの幸せに夢を膨らませていた私たちに突然医師から告げられた言葉。
この子は生きられません。
これからどうするか考えてください。
①このまま亡くなるのを待つ。
②餓死状態で亡くなるのは可哀想なのでミルクなど最低限の栄養だけをあげる。
③とても危険な箇所だけれど手術を受ける(手術中に亡くなる可能性も高く、手術がうまくいったとしても一生植物状態の可能性が高い。
今回は、このような状態から奇跡的に助かって、障害がありながらも、今日も元気に過ごしている3女のお話をしたいと思います。
私は、三女が生まれてから、命の大切さ、命の尊さについて深く考えさせられるようになりました。
ここまでたどり着くには、たくさんの悩みを抱えながら、一日一日を必死に生き、不安や恐怖に怯えながら、生活していました。
心にゆとりが持てるようになった今、過去のことを振り返ってみると、苦しい時期・不安な時期の経験が自分を成長させてくれたのだと感じています。
今回は三女の生い立ちについてお話ししたいと思います。
私の三女の病名は脳出血です。
妊娠中は全く問題なく、出産も退院も普通にできました。
自宅へ帰って2周間くらいたったある日、なんとなくボーッとしているような、泣き声が弱いような、母乳の飲みが悪いような、そんな気がしました。
3人目だったので、他の子と比べられたからわかる程度のわずかな違いだけでした。
けれど、なぜか胸騒ぎがしました。
お盆中だったので、主人は上の子2人と実家に帰り、私と三女だけが家にいたので相談はできませんでしたが、不安でいるより、病院で診てもらって安心したいと思い、緊急医に連絡して受診しました。
その日の当直は内科の先生で、子供の様子を見て、風邪を引いたのでしょうと言われ、薬をもらって帰る予定でした。
けれど、ちょうどその時間に、小児科の病棟を巡回していた小児科医の先生が診てくださることになりました。
心配なら念のためエコー検査だけやってみましょうと言われ、お願いしました。
娘がベットに寝かされ、機械をあてられると、先生や看護師さんたちが急にソワソワし、何人もの人が娘の周りを囲って何かを始めました。
私は何がどうなっているのかわからない状態でパニックになっていました。
そして、医師から告げられた言葉。
「お子さんは脳出血を起こしています。原因はわかりません。出血範囲も広く、脳幹を圧迫しているので命の危険性もあります。こちらでは診療不可能なので県内の大きな病院へドクターヘリーで行きたいと思います。」
それからしばらくして、「夕方で暗くなってきたため、ドクターヘリーで向かうことが不可能になりました。救急車で向かいたいと思いますが、今の状態だと救急車内で亡くなる可能性もあります。」
と言われるほどの危篤状態でした。
それから数時間後の真夜中、医師から告げられた言葉は「一命は取り留めましたが危険な状態です。脳動脈瘤(のうどうみゃくりゅう)の破裂が原因で今は止血しましたが、再発する可能性は高いです。再発することによって脳の損傷も大きくなっていきます。今は、いつどうなるかわからない危険な状態ですので、ご家族の誰かは必ず別室で待機していてください。」
そして、数日間病院で待機後、何かあったらすぐに連絡をとれるようにと言われ、自宅へ戻りました。
そのとき、私が娘にしてあげられることは1つでした。
「できるだけ母乳栄養をあげること。」
生まれてすぐの母乳はミルクに比べて赤ちゃんに必要な栄養や免疫成分が多く含まれているのでできる限りそれを届けました。
こんな状態で食欲はもちろんない。
でも、泣きながら必死にご飯を食べて母乳を出して冷凍し、片道1時間もかかる道のりを車で届ける日々。
娘に会うこともできず、また長い道のりを車で帰る。
出産直後で体も心もボロボロ。
そんなある日病院から一本の電話。
「お子さんの脳が再出血しました。非常に危険な状態です。最期になるかもしれませんのでご家族で来てください。」
当時、同居していた祖父母と私たち家族がみんなで3女とのお別れのために病院へ向かいました。
この病院に来て初めて見た娘の姿。
小さな小さな身体にはたくさんの機械や管がつながれていて、そのおかげで、お腹を膨らませながら一生懸命呼吸ができていました。
小さな小さな温かい手のぬくもり。
うっすら見つめて何かを訴えているような可愛い目。
家族みんなの涙が止まりませんでした。
娘との面会後、両親が呼ばれて告げられたのが冒頭での言葉。
①このまま亡くなるのを待つ。
②餓死状態で亡くなるのは可哀想なのでミルクなど最低限の栄養だけをあげる。
③とても危険な箇所だけれど手術を受ける(手術中に亡くなる可能性も高く、手術がうまくいったとしても一生植物状態の可能性が高い。
御夫婦で話し合って今後の治療方針を決めてください。
これほど過酷な選択があるのでしょうか。
このまま亡くなるのを待つか、手術をして、たとえ助かったとしても一生植物状態で、この子と私たち家族の未来はどうなっていくのだろう。
たくさん悩んで私たちの選んだ選択肢は②。
何もしないで苦しんで亡くなるより美味しいミルクなどの栄養を与えてあげて、少しでも苦しまずに亡くなっていくのが一番ラクに逝けて私たちがしてあげられる最後のことなのかなと思いました。
娘と最期のお別れをしてから数日後、病院から一本の電話。
「お子さんが、かすかに自発呼吸を始めました。今後の方針を考えていきたいと思いますので、ご両親で病院へ来てください。」
「お子さんは自分で呼吸をして生きようとしています。医師の役目は生きようとしている命を救うことです。手術を行い、できる限りの最善を尽くします。」
そのように医師から告げられ、手術を行うという選択になりました。
15時間という長い手術は無事成功し、脳の血腫は取り除かれました。
そして、術後説明では、「脳の血腫は取り除かれました。この部分の再発の恐れはありません。けれど、脳動脈瘤は奇形なので、一つある人は他にも複数ある可能性もあります。現在は脳の血管が細かすぎてMRIを撮っても奇形を見つけることはできません。これから、成長と共に脳が大きくなっていく段階で、MRIを撮って他の奇形がないか見ていくしか方法はありません。それから、このような状態だと多くの方がなくなってしまい、症例がほとんどないので、お子さんの予後がどうなるかはわかりません。」そのようなお話がありました。
帰宅後、私は主人と涙を流しながら今後について話しました。
この部屋に大きなベットといろんな機械を起きながら、寝たきりの娘を一生介護していかなければならないのかな?
いつか、お仏壇の壁に並んでいるご先祖様の遺影の横に我が子の写真が並ぶ日がくるのかな?
もし、他にも脳に奇形があったら…頭の中に動脈瘤を抱え、いつ何が起こるかわからない我が子への不安を、これからも胸の奥に抱えながら、どうやって暮らしていけばいいのだろう?
よく、テレビで見る「生きてさえくれれば・・・」
正直に言ってこの時の私は、亡くなればその時は本当に苦しい。
でも、いつか心の傷は少しずつ癒えていくかもしれない。
けれど、何もできず一生寝たきりの娘を見るのも、恐怖に怯えながらそれを支えていく家族もつらい。
自分たちの人生がどうなってしまうのだろう。
他の娘たちになんと言って接していけばいいのだろう。
一緒にいて、お世話をすれば愛情もどんどん強くなっていくし、その時に突然また、脳出血を起こして亡くなったら本当に苦しい。
たとえつらくても、亡くなった方が、三女も私たちもラクになれるのではないだろうか。
いろんな葛藤の中で生きてきました。
けれど、今では生きていてくれることに感謝の気持ちでいっぱいです。
現在、三女は小学4年生。
歩くことはできません。
けれど、ズリバイやハイハイで自分の行きたいところへゆっくりゆっくり行くことはできます。
ぺらぺらお話することはできません。
けれど、カタコトでも自分の気持ちをしかっり伝えてくれます。
お歌を歌うのも上手です。
歩けなくても、しっかり話せなくても、自分らしく生きてます。
小学校へ入学する年のMRIで、他の奇形の心配はなくなり、大きな不安から解放され、ようやく生きた心地を取り戻すことができました。
ここまでの間、後遺症により、いくつかの障害や手術を受けることはありましたが、明るく元気な子に育ってくれています。
家族は三女を「奇跡の子」と言いながら大切に大切に愛情を持って接してくれています。
今は、3◯kgある三女を4◯kgの小柄な私が、夜泣きもする大きな赤ちゃんを抱えてのお世話に限界を感じ、ある障害児施設に入所をお願いして離れ離れになっています。
三女をしっかり育ててあげられず涙を流していた私が、今、こうしてブログで自分の経験をお話できるようになったのは、三女が別の場所で一生懸命頑張ってくれているおかげです。
「生きるということの大切さ」
「小さな幸せ」
「困っている人への思いやり」
「感謝の気持ち」
「支えてくれる人の温かい心」など、
三女が私に教えてくれた、たくさんのこと。
これからは、私の経験が、悩んでいる人、困っている人の気持ちを少しでも軽くなるようなお手伝いができればいいなぁと思います。
そして、我が家は今、バリアフリーの家を建築中。もう少しで完成。
長女は三女の顔写真を携帯の待ち受けにしていつも帰りを待っています。(三女の夢をよく見るようです)
次女はお手伝いをして貯めたお小遣いで三女におもちゃを買ってあげて一緒に遊ぶと言って楽しみにしています。
「あなたたちはカップルなの?」と思うくらい毎日三女とイチャイチャしていた主人もきっと三女の帰りを心待ちにしています。
そして、私は…三女と離れてみてわかった、本当に大切な三女の存在。
また、家族で仲良く、楽しく暮らしていけるように、家事・育児・介護などたくさん勉強していろいろ学んで暮らしを整えていきたいと思います。
皆さんの心や暮らしが軽くなる方法も一緒に考えていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次のお話は、両親の介護を通して知った大変さについてです。介護は、ある日突然始まることがあります。父の脳梗塞、母の認知症をきっかけに私たちの生活は大きく変わりました。実際に経験したからこそ分かった、両親を介護する大変さについてお話します。
同じように介護に悩んでいる方の心に、少しでも寄り添えたら嬉しいです。
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